簡素な暮らし 第6回

今日は先日イマノさんがブログで語ってくれた「簡素さ」と民藝の繋がりについて書いてみようと思います。

確かに「簡素な暮らし」というのは「物の少ない質素な暮らし」という意味合いもあります。が、それよりも「自然を生かす暮らし」というイメージで私は使っています。人工的な素材を使った物をどんどんプラスして自然を隠してしまうのではなく、より自然を引き立てるような暮らしをしたい・・・そんな思いを込めてタイトルを名付けました。

簡素という言葉は、質素とか単純という言葉に置き換えることができます。柳宗悦は「手仕事の日本」のなかで、健康の美についてこのように語っています。

『しかしこの世には感謝すべき仕組みが用意されているのであります。込み入った装いのものよりは、単純なものの方に、かえって美しさが豊に現れるようにしてあるのであります。この仕組みをどんなに有難く思ってよいでしょう。何も複雑なものが直ちに醜いものとはいえないでしょうが、単純なものの方に恵みは多く降り注がれているのであります。単純さと健全さとは極めて深い間柄にあります。日本で深い美の姿として、いつも讃えられる「渋さの美」は、要するに単純な姿を離れては存在しないのであります。』

また、物に宿る美しさには「暮らしの正しさ、健やかさ」という道徳的な部分も大きく関わっていることを柳はよく語っています。

柳宗悦が1931年から1951年の間に発行した雑誌『工藝』の108号に、「民藝と東北」という文章があります。そのなかで柳は、東北の貧しく質素な暮らしをしていると云われる東北の人々が、いかに豊かなものを用いているかを力説しています。この「豊か」とは、もちろん経済的・装飾的なことを意味するのではなく、文化的に豊かであるということです。農村や山村の生活で用いられる民具の多くは自給品であるため、とても手堅く作られます。利益を追求した商業的なものとは異なり、心を込めて丁寧に作られるという「豊かさ」が簡素で質素な暮らしを彩っていたのです。

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矛盾していると思われる「簡素・質素」と「力強さ・豊かさ」が切っても切れない関係であるのは、簡素であればあるほど自然本来の力を生かし、作り手や暮らす人々の姿と心を映し出すことができるためでしょう。健やかで美しいものに囲まれて暮らすことで、私たちは真に豊かな生活をすることができる・・・。そういった暮らしを彩るものたちを今後もmoyaisでご紹介していければ、と思います。

ヒラノ

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