簡素な暮らし 第7回

前回の「簡素な暮らし」では、「自然を生かす暮らし」について書きました。年を重ねるたびに「自然」という言葉が心に響くようになってきました。「自然を生かす暮らし」もそうですが、この数年は「自然をそのまま受け入れる暮らし」が出来れば良いな、と感じています。

人間は自分たちの思い通りに物事を運ぼうと考えがちです。例えば庭ひとつをとっても、あの花はここに植えてあの花をあそこに、というように綺麗な庭を作りたくなります。左右対称で均一に整っている状態が美しい、という考え方が私にもいつの間にか身に付いていて、以前は機械で作られた、どれを手にとってもまったく同じ色の器を揃えていました。日用品もどちらかといえば無機質で、角張った感じのものが好きでした。

でもここ数年で、だんだん「自然の作用そのまま」の面白さが分かってきました。

登り窯で焼かれる器も、自然を受け入れています。人間の手によって作り出されながらも、手の届かない部分が必ずあります。釉薬の成分や炎の作用で生まれる、たったひとつの器に惹かれるようになりました。手仕事のものに囲まれる暮らしは、「私たちの生活は自然があるからこそ成り立っている」という、つい忘れがちなことを思い出させてくれます。

小鹿田焼・柳瀬朝夫さんのうつわは特に「自然を受け入れている」感が強く、上の写真のように、いつの間にか増えてしまいました。

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鉄分が吹き出して青地釉に金色の部分があります。職人さんが使いやすいよう工夫を重ね一生懸命作ったものに自然の作用が加わり、本当に美しいものが生まれます。

グラフィック社「民藝の教科書⑥暮らしの道具カタログ」の冒頭にはこんなことが書いてあります。

「手仕事による製品が”選んで使うもの”になっているいま、モノから風土を感じとることができる人はそう多くはないだろう。でも、だからこそ、選びたくなる理由を考えてみたり、モノからそれが生まれた土地の風土をたどったりすることに意味があるともいえる。」

かつて日本人にとって手仕事のものは、その土地の気候風土に応じて、暮らしの中で必要に迫られて生まれた道具でした。でも私たちは、どんな土地のものでも”選ぶ”ことができるようになりました。どんどん暮らしが人間主体で能動的になる中、手仕事を通じて自然を受け入れ敬ってきた日本人の姿勢を見直すようになったのかもしれません。

春になると草木が芽を出し、花を咲かせます。雨や風を受け、繰り返す一途な自然の営みに美しさと豊かさを感じる毎日です。

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