小鹿田焼の窯元を訪ねました

甚大な被害をもたらした7月の九州北部豪雨から3ケ月半。何度か連絡は取っていたものの、現地の状況を実際に見て話を聞きたいと思い、10月初旬に小鹿田焼の窯元を訪ねました。

大粒の雨が降る中、友人の運転で小鹿田焼の里を目指しました。市街地から少し離れた支流がある地域に入ると景色が一変します。


普段は溢れることのなさそうな川ですが、土手と同じ高さにある住宅へ一気に水が流れ込んだ形跡がありました。


途中に見えた山はかなり大規模に崩れていました。流されてきた瓦礫は積まれたまま。崩れた家屋もそのままで胸が痛みました。道路も迂回しなければならないところがたくさんあり、元の状態に戻るまでには相当な時間が必要だと思われます。

小鹿田に続く道もところどころ山の崩れた形跡があり、道も凸凹になっていました。

皿山の泥や瓦礫は片付いていましたが、採土場が崩れてしまったため使える土は災害前に作っておいたもののみです。土を漉す水簸(すいひ)は無事だったそうですが、肝心の土がなければ家族総出の器作りをこれまで通り進めることはできません。

窯炊きの時期もずれ込んでしまったので、今は窯に詰められる分だけの器を計算しながら作っています。

柳瀬晴夫窯の柳瀬元寿さん。災害後は若手の陶工さんが色々な作業で活躍されたそう。

坂本浩二さんと琢磨くんもお元気そうで安心しました。浩二さんは小鹿田焼協同組合の理事長である坂本工さんとともに中心となって小鹿田焼復興事業を担っています。東日本大震災の支援金などについて詳しく調べたり、助成金の申請書類を揃えたり、「職人なのに最近は器作り以外のことで忙しい」とのこと。国の無形文化財だからといって補助がある訳ではなく、日田市からの補助も限られているそうです。


「もしまた災害があった時のために、災害後の対応マニュアルを作って残しておきたい」「工事、復興事業を進めるにあたっても今までの形を残しつつ、次の世代のために改善を加えていきたい」と語る浩二さん。唐臼がたくさん流され生活に影響が出たら、自然をコントロールしていく方向に向かってしまいそうですが、自然を受け入れ、前向きに進もうとする姿勢はさすがだと思いました。

黒木富雄窯の皆さんもお元気でした。高台を削る昌伸さん。災害で動揺している様子は全くなく、やはり現実を受け止め小鹿田をより良くしていこうと若手の中心になっています。

柳宗悦とバーナード・リーチも賞賛した小鹿田焼を未来に繋げるため頑張っている作り手の皆さんの姿を見て、勇気付けられた旅でした。今後も小鹿田を訪ね、様子を皆さまにレポートしていきたいと思います。小鹿田焼復興事業のHPでも小鹿田の様子が時々レポートされています。支援金もまだまだ受け付けています。

小鹿田焼復興事業

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