ものたちと

友人に詩人まど・みちおさんの本を借りて読みました。

そのなかに、こんな詩がありました。

「ものたちと」

いつだってひとは ものたちといる
あたりまえのかおで

おなじあたりまえのかおで ものたちも
そうしているのだと しんじて

はだかでひとり ふろにいるときでさえ
タオル クシ カガミ セッケンといる

どころか そのふろばそのものが もので
そのふろばをもつ すまいもむろん もの

ものたちから みはなされることだけは
ありえないのだ このよでひとは

たとえすべてのひとから みはなされた
ひとがいても そのひとに

こころやさしい ぬのきれが一まい
よりそっていないとは しんじにくい

 

この詩を読んで、柳宗悦がものを「働き手」と人のように呼ぶことを思い出しました。

「民藝とは何か」のなかにこのような一説があります。

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なぜ貴族的な品が多く病いに罹るのでしょうか。用を務めないからです。働き手ではないからです。それは多く床に据えられて働くことを厭っています。働くにしては余りに着飾り過ぎているのです。錯雑さがなぜ美を乏しくするか。それは働くに邪魔だからです。働かずば必然体は弱くなります。彼等はおおむね繊弱なのです。錯雑を去り華美を棄て、すべての無駄をはぶいて、なくてならぬもののみ残ったもの、それが民藝品の形であり色であり模様なのです。「なくてならぬもの」、これこそ美の基礎であると云えないでしょうか。

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よく私たちは手仕事や民藝の品について「心温まる」とか「日々を豊かにする」と形容します。それは、なくてはならぬものと毎日一緒にいられるからだと思います。本当に必要なものと一緒に暮らすことで人とものとの間には強いつながりが生まれます。

なくてはならないものが美しく、美しいものがなくてはならない。手仕事・民藝の品にはこの素晴らしい法則が当てはまります。

人生は自分になくてはならないことやものや人や場所はどこに在るのか?を探す長い長い旅。もしかしたら、良いものを使うことで明日はその場所に今日より少しだけ近づいているかもしれない。そう考えると毎日の暮らしが宝探しのように思えませんか。

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