富山への旅 -八尾和紙と桂樹舎-

先日、富山県八尾町で伝統工芸「八尾和紙」を作り続ける「桂樹舎」をはじめて訪ねました。

室町時代に飛騨の国の人々が富山に移り住んできて山間で紙漉きをしたのが八尾和紙のはじまり。越中薬売りの薬包紙として発展した八尾和紙は、富山の繭産業が栄えると同時に種繭をのせる紙としても使われていきました。明治に入り安価な機械漉きの紙が出回りはじめると職人たちは仕事から離れていき、だんだんと和紙は衰退していきました。

桂樹舎の創設者である吉田桂介さんは1929年に15歳で故郷の八尾から上京し、三越本店の呉服売場で働いていましたが、病気にかかってしまい療養のため八尾に戻りました。病気が完治した後、仕事もなくふらふらとしていた桂介さんは製紙指導所の生徒募集を見て入所、当時斜陽産業であった紙の魅力に取りつかれていきました。1937年、雑誌「工藝」に掲載されていた柳宗悦の記事に感動し、すぐに東京の柳宗悦を訪ねたそうです。「今世の中には、色の白い、弱い、安物の紙が沢山あるけれど、これらの紙は化学染料でなく天然の草木染めをして、伝統の手法で真面目に作られているからこそ美しい。君は伝統をしっかり守って昔のままの紙をやりなさい。そうすれば間違いない。」といわれた桂介さんは、富山・八尾での和紙作りを続ける事を決意します。

その後は植物を使っての染め方を学んだり、美術品用の紙を作り売り出したりと勢力的に紙作りをしていきました。さらに芹沢銈介(せりざわけいすけ)からデザインのことを学んだ桂介さんは、世界各国の工芸品などにも影響を受けながら時代に左右されない柄を次々と生み出していきました。

芹沢銈介の代表作品であるカレンダーをはじめ、現代の生活に取り入れられる様々な製品をつくり続けてきた桂樹舎。現在は2代目である泰樹さんを中心に勉強会や型染めの実演・体験会を行い、八尾の和紙を広く広める活動を行っています。

和紙の原料である楮(こうぞ)。

皮を剥ぐ→乾燥→川にさらす→内皮を剥ぐ→汚れを取り除く→たたく→紙漉き→板に貼る→乾燥

と和紙ができるまでのだいたいの工程を想像するだけでもその大変さが分かります。桂樹舎の資料館にはその工程や作業の様子が展示されていました。


朝鮮王朝時代の独特の工芸品、紙縒(かみより)。バッグやかごなど様々なものがあり、紙でできているということ、そしてその美しさに驚きました。

世界中で子供から大人まで永く大切に使ってきた紙。現代ではすいぶん平面的で無機質なものになってしまったのだな、と気づかされた展示でした。八尾町山間部にあった小学校の分校を移築したという木造瓦葺きの建物も素敵でした。富山に行かれる際はぜひ足をのばしてみてくださいね。

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